ゲイ・リュサック
GAYLUSSAC,Joseph Louis
フランスの化学者
[生]オート・ビエンヌのサン・レオナール 1778.12.6
[没]パリ 1850.5.9
青年時代,ベルトレに認められて指導を受け,しばらくベルトレの息子に協力して,塩素で麻を漂白する工場の仕事を手伝い,間もなくその恩義に報いるだけの業績をあげた。
1802年,すべての気体が同し温度上昇に対して等しい割合で膨張することを発見した。このことはシャルルが数年まえにすでに発見していたのだが,発表をしていなかったために,発見の名誉はむしろゲイ・リュサックのものになってしまったのである。この発見は重要なものであり,10年経たないうちにアボガドロによって,これをもとにして,同温同体積の気体はすべて同数の分子を含有するという仮説がたてられた。1804年,ビオと一緒に気球による上昇を試み,のちに自分1人で上昇を試みたが,これは科学探究を目的としては最初の上昇であり,アルプスの最高峰よりも高い6,400kmまで昇ることに成功し,上空での実験の結果,空気の組成も,地磁気の状態も地上と変らないことを発見した。
当時イギリスは他のヨーロッパ諸国の先頭に立ってナポレオンの失脚を策していたときで,化学研究でもデービーが出て1807年と1808年に電気作用によっていくつかの新元素を発見し,学問の中心地となっていた。
フランスでは革命に続いて国家主義が高まり,政府は国家の権威を高めるために科学を利用しようとした。ナポレオンはゲイ・リュサックとその友人で共同研究者のテナールに資金を与え,強力な電池を作って大電流を手に入れ,イギリスに負けないように新元素を発見するように命した。しかし電池は必要ではなかった。ゲイ・リュサックとテナールは,デービーが発見した元素の一つであるカリウムを用い,電流を使わないで酸化ホウ素を処理してはじめてホウ素の単体を分離し,1808年6月21日にこれを公表した。デービーは9日間の遅れをとって,6月30日に同じことを発表した。ナポレオンは科学において勝利を得たのである。
ゲイ・リュサックはさらに研究を続け,大きな発見をした。1809年,気体が化合物をつくるときに結合する体積の割合が簡単な整数比になっていることを発見した。たとえば,水素と酸素は2:1に結合して水をつくり,水素と塩素は1:1に結合して塩化水素をつくり,水素と窒素は3:1でアンモニアをつくった。この気体容積の法則を発見するには,一部,多能なフンボルトの援助もあずかって力があった。元素のこのような体積関係は原子量の決定に利用され,ベルセリウスによって測定が行なわれた。これに対しドルトンは重量組成にだけ重点を置いたためにその原子量は正しいものが得られなかった。ゲイ・リュサックの法則を説明するためにアボガドロは仮説を発表したが,半世紀の間、問題にされなかったシアン化物についても継続的に研究を進め,青駿,またはシアン化水素は酸素を含有しないことを立証し,このことから酸素がない酸があることを明らかにして,この点に関してはラボアジェの説が誤りであることを示した(あとで,水素こそ酸の必要元素であることが知られた)。クールトアのヨウ素について研究し,ヨウ素が新元素であることを明らかにした。またアルカリや塩素の点滴(正確な容量を注意深く加えること)法を採用して化学分析に新しい武器を加え,これを用いて1811年にはテナールと共同ではじめて砂糖の組成を決定した。1831年,ルイ・フィリップの新政府のもとでフランス議会に身を置き,晩年を法律の制定のために過ごした。