ジュール(Joule)
James Prescott
イギリスの物理学者
〔生〕ランカシャのソルフォード
[没]チェスシャのセール,1889.10.11
豊かな醸造業者の家に生まれ,一生を研究生活に費やしてもよい境遇にあり,若いころ病気がちだったため読書と研究に身を入れるようになった。その師の1人がドルトンであった。ジュールは測定できる対象物があると熱狂的になり,新婚旅行の最中にも,時間をさいて特殊な温度計を作り,旅行先での滝の上と下で水の温度を測定したほどである。
10代にしてすでに電動機に発生する熱量を測定した論文を発表し,1840年には電流による発熱量についての法則を発見した(発生する熱量は電流の強さの2乗と回路の抵抗の積に比例する)。さらに10年間ほどは考えられるすべての過程に生ずる熱についての研究を重ね,水や水銀を撹はんしたり,摩擦による発熱をみるために小さな穴に水を通したり,気体を膨張させたり圧縮させたりした。新婚旅行先で滝の上と下で水の温度を測定したのも同じ目的で行なわれたのであり,滝の上部から落ちる水が位置のエネルギーを失い下部で静止したために温度が上昇したのではないかと考えての実験だった。これらすべての場合に系の外から加えられた仕事の量と系内に発生する熱の量を測定した彼は,ランフォード半世紀まえに主張したように,二つの量の間に密接な関係があること,一定量の仕事からは常に一定量の熱が発生すること,1カロリーの熱量を発生するには4.18×107エルグ(4.18ジュール)の仕事が必要であることを発見した。これが“熱の仕事当量”と呼ばれるものである。
ジュールの最初の詳細な実験と結論を載せた論文が発表されたのは1847年であるが,そのときには科学者たちの気に入られなかった。理由は彼が酸造業者であり,学者でなかったからだと思われる(少なくとも一度は教授の地位を提供されたことはあるのだが,彼は教授になろうとはしなかった)。また彼の実験が多くの場合,非常に小さな温度の変化を問題にしているので,実験が派手でなかったのも一つの理由だと思われる。彼の発見についての報告はすべての学会誌から掲載を拒否されたためにやむなく彼はマンチェスターでの一般講演の際に発表し,その全文をマンチェスターの好意ある新聞に載せてもらった。そして数カ月後に,ある科学者の集まりの席でやっと発表する機会を得た。ほとんどの人が全然関心を示さなかった中で,ただ1人23才の男 だけが熱心に聴いていた。その人こそウィリアム。トムソンで後年ケルビン卿として知られるようになった人である。
トムソンの理論的で賢明な賞賛のおかげでジュールの研究への関心が深まるようになり熱狂的なものさえ現われるようになり,ジュールの評判が高くなった。熱の仕事当量をはじめて測定したのはジュールではない。ラムフォードも測定したのだが測定値が大きすぎ,マイヤーもジュール以前にかなり良い結果を得ていたのだが,しかし最も正確な(当時としては)値を出して,多くの注意深い実験研究によりその値の正しさを強調し,(トムソンの助力により)熱と仕事の概念を科学界に広めたのはジュールである。したがって熱の仕事当量の測定者としてはジュールの名があげられることになり,彼の名を記念して107エルグを1ジュールと定めている(4.18ジュールの仕事が1カロリーの熱量に等しい)。
熱の仕事当量の測定によって,きわめて重要な基本的なことが明らかになった。ニュートンやガリレオ以来,上方に投げられた物体のエネルギーは,物体の速さが減っても小さくはならないということがわかっていた。重力に引かれて物体の速さは減少しても,物体が運動エネルギーを失うと同時に位置エネルギーを増すのは確実であり,物体が最高点に到達し瞬間的に静止し運動エネルギーが零になっても,その物体は位置エネルギーを大量に所有したのである。物体が落下を始めると亡置エネルギーは再び運動エネルギーに姿を変え,地面につく直前には,投げ上げあげられた際所有したのと同し量の運動エネルギーをもつのである。
理論的には運動エネルギーと位置エネルギーとは損失を伴わないで互に交換し,“力学的エネルギーの保存”が行なわれる。実際的にはエネルギーの保存は完全でなく,空気の低抗や摩擦によって少しのエネルギーが失われる。
しかし,もし熱がエネルギーの一種であることが認められ,また摩擦や空気の低抗による力学的エネルギーの損失が熱の発生に等しく,さらに,ジュールの理論が正しく,熱以外のエネルギーの損失によりそれに等しいだけの熱が確実に発生するならば,全エネルギーは保存されるのではないかと考えられてよいわけである。
これがエネルギー保存の法則であり,工ネルギーは無から生しることも,無になることもなく,その姿を変えるだけであることを述べたものであり,科学の歴史の中で導かれた重要な法則の一つである。この法則は熱と仕事の関係を探究するにはきわめて重要なので,しばしば熱力学の第一法則とよばれている。
ジュールから125年の間にこの法則は放射能が発見された時と電子の放射が詳しく研究された時の2回,その存立を危ぶまれたが,その都度アインシュタインや
パウリの研究によってその正しさが証明されてきた(少なくとも現時点でエネルギー保存の法則の存在を認めたのはジュールであり,またジュール以前にマイヤーもその原理を認めていたが,この法
則を明確な形で述べたのはヘルムホルツであって,したがって発見者の名誉はへルムホルツに与えられている)。
1850年代の間ジュールは若い友人であるトムソンと共同研究を進め,気体を自由膨膨張させると温度がわずか下がることを共同発見した。観察結果は1862年に最終的にまとめられ,ジュールートムソン効果という名がつげられて,気体分子が相互に小さな引力を及ぼし合っている証拠とされた。気体が膨張する際に温度が下るのは,気体の分子が離れ離れになるときに分子引力に打ち勝つためにエネルギーを失うからである。この概念は19世紀の終りになって極度の低温を得る際に非常に役に立った。これを充分に活用したのがデュワーらである。ジュールはまた鉄が磁化されたときにその長さを変化するという現象を発見した。当時はまったく純学問的な研究だと思われたが,現在では超音波に関係してこの効果が利用されている。
1850年王立協会員に選ばれたジュールは1866年にコプリーメダルを受け,1872年と1887年には英国科学振興会の会長となった。彼が生涯醸造業者をやめず,教授にならなかったことは,知的民主主義的な科学界では問題にされなかったように思える。