ライプニッツ
LEIBNIZ,Gottfried Wilhelm
ドイツの哲学者・数学者
[生]ライプチヒ,1646.7.1
[没]ハノーバー,1716.11.14
幼いころから神童といわれ,一生を通してあらゆる方面に才能を示したが,何にでも手をつけたために特定の分野では第一人者になることができなかった。彼は外交官・哲学者・政治家であり,また旧教と新教の調停者でもあった。外交官としては,ドイツヘの侵入を考ていたルイ14世の気をそらせて,代わりにエジプトを攻撃するように進言した。ルイ14世はこれをとり上げなかったが,代わりにナポレオンが実行した。また,ときどきロシアのピョートル大帝の助言者ともなった。旅行中,ホイヘンスたちに接してからはひどく数学に熱中し,先ず始めにパスカルのものよりすぐれた,加減乗除のできる計算器を考案した。その結果,1673年にイギリスを訪れたとき,王立協会の会員に選ばれた。彼は同じ年に微積分学について考察を進め,その結果を1684年に発表したが,これが原因となって,ニュートンがひそかに加わっていたニュートン派の人たちと激しく争うことになった・ライプニッツが外交官をしていたことから,怒り狂ったニュートン派の人たちは彼の言葉に疑いをもち,1673年に彼がイギリスの数学者と接していることから,彼は盗用したのであると考えた。しかしライプニッツの研究はニュートンとは別個に行なわれたことが明らかで,微積分学の展開方法はニュートンのものよりもすぐれていた。今日ではライプニッツがはじめて使用した用語や形式のほうが好んで使われている。1693年には力学的エネルギー(位置エネルギーと運動エネルギー)保存の法則を発見した。この法則は1世紀半後にヘルムホルツたちにより,すべてのエネルギーを含む法則として一般化されることになった。1700年,プロシアのフリードリヒ1世を説いて,ロンドンの王立協会やパリの科学アカデミーに匹敵するものを作るようにはたらきかけ,ベルリン科学アカデミーを設立し,第1代の会長になった。この協会は今日でも重要な科学研究団体として存続している。1700年にはライプニッツはニュートンと並んで,パリ科学アカデミーの最初の外人会員に加えられた。ハノーバー選帝候に40年間仕えてきたライプニッツは,帝がジョージ1世としてイギリス国王になった際いっしょにロンドンへ行くことを希望したが,帝は彼を必要とせず,ライプニッツは独り淋しくハノーバーにうずもれてこの世を去った。