マイヤー MAYER
Julius Robert
ドイツの物理学者
[生]ウュルテンベルクのハイルブロン
1814.11.25
[没]ハイルブロン,1878.3.20
はじめ医学を修めたが開業医の仕事を好まず,1840年ころから物理学に関心をもち始め,探究生活にはいったが,彼にとっては最も悲劇的な結果が待っていることになった。1842年には熱の仕事当量の大きさを発表すると同時にエネルギー保存について彼の信ずることを発表した。その論文を発表するのをひき受けてくれるところがなく、少し当惑したが、リービッヒがその主宰する雑誌へ載せることをひき受けてくれた。
マイヤーの論文発表はジュールより5年も前だったのだが,誰も関心を示す者がなく,結局は立派な実験的な背景をもっていたジュールに,熱の仕事当量測定の名誉を取られてしまった。またエネルギーの保存の法則の発表も,彼よりもより理路整然と発表したヘルムホルツのものとされてしまった。しかしマイヤーはこの2人よりもさらに対象を広げ,生物の世界にエネルギー保存が成立するものとした(無生物の自然現象に当てはまる法則は生物には適用できないとする活力論が強い勢力をもっていた当時としては大胆な解釈であった)。彼はまた無生物であろうと生物であろうと,地球上のエネルギーの根源は太陽エネルギーであると論し,太陽エネルギーは太陽の収縮に よるかまたは隕石の落下によって生じ,いずれの場合でも力学的エネルギーが放射エネルギーに変化したものであると説いた。
太陽エネルギーについてのこの説は,ヘルムホルツとケルビンが立てたことになってしまった。自分の説が認めてもらえなかったことと,理論の創設者をめぐっての争いに破れたマイヤーは,1849年2階の窓から飛び下り自殺をはかったがそれにも失敗した。1851年には原始的な残酷な治療法を採用している精神病研究所に入れられ,結局は自由になることができたが完全には回復しなかった。しかし彼の研究の価値はその生存中に認められるようになり,とくにチンダルは1860年代の初期に彼の研究のことを講演した。悲しい事件のあとマイヤーはあまりにもひっそりと生活していたので,1858年にリービッヒがマイヤーの所説を講演したときには,マイヤーは故人として扱われたほどであった。