ワット WATT,James
スコットランドの技術者
[生]レソフルーのクリーノック 1736.1.19
[没]バーミンガム近くのヘスフィールド 1819.8.19
子供のころは病弱で,10代のときに母を失い,父は,始め成功したが,のちに商売に失敗した.英国に出てロンドンに着いたワットは1年間,年期奉公を勤めてつらい修業をしたが,この間に機械の使用法を習得し,機械工としての技術を身につけた。
1756年スコットランドに帰り,グラスゴーで機械工として独立しようと志したが,年期奉公の年数が足りないため市の許可を得られず,市の権限外にあるグラスゴー大学に仕事を見つけた。大学ではジョセフ・ブラックと知り合い潜熱について学び,蒸気機関の改良についての着想を得た。セーベリとニューコメンの発明した蒸気機関は揚水機の動力源として使用されていたが,ひどく効率が悪く,ワットは1764年,大学の求めでその修理を手がけた際に強い関心をもち,ロンドンの機械工が失敗したものを引き受けて簡単に修理はしたが,それだけで満足せず,さらにその改良を志した。
ある日曜日の散歩中の思索で,彼は非能率の原因をつきとめたらしい。ニューコメンの機関では,蒸気室を冷やして蒸気を凝結させて真空状態をつくり,次にまた再びその室へ蒸気を入れる仕掛けになっていたが,室が冷却しているので暖めるだけで多量の蒸気が浪費され,1周期ごとに,冷水のした仕事をもとへ戻すために多量の燃料が必要だった。そこでワットは第二室(凝結室)をつくり,蒸気をその中へ導入するようにした。こうすると,第一室(シリンダー)が熱せられたままでも凝結室はいつも冷却しておけたので,冷却と加熱を交互に行なって,その力を相殺するということがない。1769年,ワットは,ニューコメンの改良型よりも大きな効率をもった蒸気機関を作ることができた。そのうえ,シリンダーを暖めるための時間を短縮できるので,ワットの機関はより敏速に行動した,ワットはほかにも,ピストンの南側に蒸気を入れるように,巧妙な改良をした。はじめは,蒸気の凝結によって作られた真空のために動くピストンは,蒸気圧がかかる一方だけに急速で,反対側へはゆっくり戻るのだったが,蒸気が両側に入って両側で凝結するので,ピストンは交互に急速に運動した。1774年,ある実業家と協同で蒸気機関を製造して販売した1784年には事務所を暖める目的で蒸気を使ったので,スチーム援房の発明者でもあるわけである)。
1790年までには,ワットの機関はニューコメンのものを完全に追い払い,1800年までにはイギリスではほぼ500台のワットの機関が使われていた,ワットのものがひじょうにすぐれていたので,ニューコメンの存在が忘れられ,ワットこそ蒸気機関の発明者であると思われ始めた。ある意味ではこれは正しい。ワットはニューコメンのものを改良しただけでなく,揚水機以外に利用する方法をはじめて考えたからである。1780年代に,ピストンの往復運動を回転運動に変える装置を工夫し,蒸気機関はさまざまな機械の動力として使われるようになった。間もなく製鉄工場では,炉に空気を送るフイゴを動かしたり,鉱石を砕く槌を動かすのに使われ始めた。この用途の広い蒸気機関はこうして現代の“原動機”の第一号となり,自然界(燃料)にあるユネルギーをとり入れて機械に供給するためのはじめての装置となった。ちょうどこのとき,英国の重要な産業である織物工業がアークライトによって機械化され,蒸気機関の発明はまさに時宜にかなったものとなった。
この発明の影響は測りしれないものがあった。石炭を燃やして動かすこの機関は,どんな場所にでも多量のエネルギーを運ぶことを可能にし,工場地帯は,水力を利用しないので流れのそばにする必要がなくなった。工場の中には巨大な機械がすえられ,大量生産が可能になって,家内工業は非経済的となり,職人たちの仕事は工場労働者に奪われることになった。都市が急激に発達し,貧民屈があふれて,農業が衰え工場の誕生により,利益と損失が一度に爆発した。一言で言えば,産業革命が始まったのである。
ワットは実はもう一つの革命の口火を切っていたのだが,こちらは1世紀半後になってから達成されることになった。自動的に蒸気の出力を調節することのできる“遠心制御器”がそれである。蒸気の力で制御器の垂直軸を回転させ,それについている金属球が,回転が高まるほど外側へ移動し金属球が外側へ移動すると蒸気の流出口を狭くする。こうして流出口が狭くなると,制御器の回転がゆるやかになり,流出口が広くなる。この方法によると,蒸気の出力は二つの上下の限界内にとどまり,大きすぎたり小さすぎたりすることがなかった。
遠心制御器は,器械自体の作用によって作用を制御することができるものであるから,オートメーションの装置といってよい。しかしそれはすでにワットによって始められたものであり,現在ではギリシャ語からとった,サイバネティクスという新しい言葉がそれに当てられている。ワットの名誉を記念して,仕車率(仕車をする割合)の測定単位としてその名が用いられている‘ワットは強い馬を試してみて,1秒間に150ポンドのものをほぼ4フィート持ち上げることができることを知り,毎秒500フィート・ポンドの仕事率を1馬力とした。この単位は今でも使われているが,メートル法では,このスコットランドの技術者の名前をとって,ワットという名称がつけられている。1馬力は746ワットである。1800年,成功と繁栄のうちに尊敬を集めて現役を退いた。