ルソー |
不器用な生き方しかできない私は、人間の自然に生きる姿に価値を見出した彼の思想に共感したので、人生論として「エミール」を読みました。 |
エミール(上) |
植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる。 |
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もっとも長生きした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ。 |
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どんなに痛い目にあっても、子どもは一人でいるときには、誰かに聞いてもらえるというあてがなければ、滅多に泣くものではない。 |
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じつのところ、けがをした場合、苦しみを与えるのは、その傷であるよりも恐れなのだ。 |
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わたしが冷静に構えていれば、子どもはやがて冷静な態度をとりもどし、痛みがなくなれば、もうなおったものと考えるだろう。この時期においてこそ、人は勇気を持つことを最初に学びとり、少しばかりに苦しみを恐れずに耐え忍んで、やがてはもっと大きな苦しみに耐えることを学びとる。 |
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わたしたちの幸福をもっと大きくしようと、たえず心を苦しめることによって、わたしたちは幸福を不幸に変えてしまう。ただ生きることだけを願っている人は、だれでも幸福に生きることが出来よう。 |
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初期の教育はだから純粋に消極的でなければならない。それは美徳や真理を教えることではなく、心を不徳から、精神を誤謬から守ってやることにある。 |
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まことに奇妙なことに、子どもを教育しようと考えて以来、人は子どもを導いていくために、競争心、嫉妬心、羨望の念、虚栄心、どん欲、卑屈な恐怖心、といったようなものばかり道具に使おうと考えてきたのだが、そういう情念はいずれもこの上なく危険なもので、たちまち醗酵し、からだができあがらないうちにもう心を腐敗させてしまうことになる。 |
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人間は模倣者である。動物でさえもそうだ。模倣に対するこの好みは、十分に根拠のある自然に基づいている。 |
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感覚する存在が行動する存在になるにつれて、彼はその力に相応した判別力を獲得する。 |
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人間の悟性に入ってくるすべてのものは感覚を通って入ってくるのだから、人間の最初の理性は感覚的な理性だ。それが知的な理性の基礎になっているのだ。 |
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子どもの教育という仕事においては、時をかせぐために時を無駄にすることを心得ていなければならない。 |
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自然の心の生命は、人の心の中にある。 |
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実践するときになって知っていなければならないことを学ぶのは時期を得たことだろうか。私にはわからない。ただ私にわかっていることは、もっと早く学ぶことはできないというこだ。私たちの本当の教師は経験と感情なのであり、決して人間は人間にふさわしいことを彼がおかれている関連の外で十分に感じることはないからだ。 |
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品のいいとはどういう意味か。公衆の役に立つ職業は、どんなことでも品がいいのではないだろうか。 |
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自然は決して私たちをだますことはない。私たちをだますのはいつも私たちなのだ。 |
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ある真実を教えることよりも、いつも真実を見出すには、どうしなければならないかを教えることが問題なのだ。 |
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自由に生き、人間的なものにあまり執着しないこと、それが死ぬことを学ぶ一番いい方法だ。 |