哲学思想分野名言集

    

松波信三郎 実存主義に興味を持った頃、はじめて読んだ本の著者です。
実存主義  少なくとも、人間のばあいには、はじめにあるものは、実存本質にさきだつような存在、何らかの概念によって規定されるよりもまえにまず実存するような存在でなければならない。人間は世の中にまず存在する。言い換えれば、人間は世の中にまず出現する。ついで、しかるのちにはじめて、人間はこれこれしかじかのものである。
   人間は誰に助けを求めるのでもなく、何に頼るものでもなく、あらゆる瞬間自分ひとり自分の存在選ばなければならない
    私の死を死ぬ者は私である。その意味で、個々の人間は、他の何ものをもってしても代えることのできない絶対的な存在である。いいかえれば、人間はひとりひとりが絶対的にそこに置かれている現実存在である。
    人間の現実存在には、個別性主体性がふくまれている。人間の本質は、この個別性主体性を除き去って、人間を一般化対象化するところに成り立つ。しかし人間の現実存在は、本質の枠を打ち破り、めいめいが独自なしかたで自己を形作っていく。
    実存者は、あらゆる概念規定を打ち破る不断の生成の内にある。しかもこの生成は、ヘーゲル的な理念の論理的発展としての生成ではなく、個別者、単独者が、自己自由選択と決断によって、たえず自己をつくっていくときの生成である。
     われわれの現存在Dasein)は、いまでは、平均化された大衆の一員として集団の中に埋没しており、個性も創意も失って誰とでも取りかえられる一単位になってしまっている。実存がたんなる生存としての現存在の中に見失われようとしているところに、現代の危機がある。
    人間はまずはじめに実存するということ、人間はみずから自己をつくるということは、いいかえれば、人間は将来へ向かって自己を投げかける者であり、将来のうちに自己を投げかけることを意識している者であるということである。
     人間は、自分が現にあるところのものであらぬように、いいかえれば、自分がいまだあらぬものであるように、かなたへ向かってつねに自己を投げかける存在である。人間は単にあるところのものであるような事物存在とは異なって、つねに自己のそとへ、いまだあらぬかなたへ向かって、現にある自己から脱出していく存在である。企ては、自己からこのような脱出のうちにのみある。
    脱自的に存在すること、自己から超出すること、自己を越え出ること、これが人間の実存するときの在り方であり、人間が自由であることの根拠である。
     「要するに実存とは何か」を、ここにいま一度繰り返すならば、「実存」とは、「事物存在」や「道具存在」の在り方とは異なる「人間存在」の特殊な在り方である、と私は答えたい。