松波信三郎 |
抜粋文
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実存主義 |
人間は、そのひとりひとりが自分の生存を意識しながら、独自のしかたで自分の生存を決定していく実存であり、その意味で、実存はそのつど私自身である。誰も私に代わって決意することはできないし、誰も私の代わりに死んではくれない。 |
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われわれは死や虚無の前にたってただひとりじっとそれを見つめていることができない。われわれの日常生活(ハイデッカーのいう現存在)は、人間的条件から目を転じて、それを忘れようとつとめる。遊戯や交際はわれわれの関心の向きをかえて、気をまぎらわせてくれる。遊びばかりではない。日々の忙しい仕事がそもそも最大の気ばらしである。 |
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実存は、誰も私に代わって選ぶことのできない賭あり、決断である。 |
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自己がたえず自己自身に関係すること、いいかえれば自己が無限に自己自身にかかわるということ、それが、キルケゴールによれば、実存の本来的な在り方である。 |
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人間が自己自身になるかならないか、自己を得るか失うかは、人間の責任にゆだねられており、そこに人間にとっての無限の可能性と自由がある。 |
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無のために神を犠牲にする。そこに、「神は死んだ」Gott
ist tot.というニーチェの言葉の真の秘密がある。 |
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ニヒリズムとは何か?ニーチェの定義ははっきりしている。「至高の諸価値が、価値を失うこと。そこには目標が欠如している。」何のためにという問いに対する答えが欠如している。」 |
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実存とは精神であり、精神とは自由である。 |
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「現存在」のこの根本構造を、ハイデッカーは「世界ー内ー存在」In-der-Welt-seinとして特徴づける。わかりやすくいえば、われわれ人間存在は、はじめから「世界のなかにいる」という構造をもっている。 |
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現存在は、その根本的な構造からして、「世のーなかにーある」より以外の在り方をもたない。他人からまったく孤立した自己というようなものは考えられない。自己は「世のーなかにーある」かぎり、他人とともにある。 |
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現存在の存在は「ともにある存在」Mitseinである。要するに、環境に対しては、「気をくばる」Besorgen、他のひとびとに対しては「気をつかう」Fursorgen、そして自分自身については「気にする」Sorgenというのが、現存在の在り方である。 |