8.熱素説と熱運動論
さて比熱、潜熱、及び熱せられた気体のような物質の規則的な膨張、という3つの不思議な現象は、温度計が発明されてから次々に発見されたものである。そしてこれらの現象の原理として、まず熱素説(caloric theory)という考え方が注目されました。「熱は、熱素という目に見えない流動体であり、物体が熱せられるときは熱素が流れこみ、冷却されるときは流れ出す」というのが熱素説の基礎であった。この考え方は、ブラックの発見からさらに発展を遂げ、当時知られていたほとんどの熱現象を説明できるまでになりました。1779年に発表された熱素説の根本原理を次にあげておこう。
@ "熱素は弾力のある一種の流動体で、各粒子は互いに反発する。" A "熱素粒子は、ほかの物体の粒子に強く引きつけられる。引きつける強さは、物質により異なる。" B "熱素はつくられも、こわされもしない。知覚できるか、隠れているかのどちらかである。隠れている状態では、固体を液体に、あるいは液体を固体に変えるために物質粒子と化学的に結びついている。" C "熱素には重さがない。" |
この熱素説による熱現象の説明は、実に見事であった。
「何故物は熱くなるのか。」
「熱素粒子が他の物質粒子に引き寄せられるからである。」
「何故、大抵の物質は熱素で満たすと膨張するのか。」
「熱素粒子が互いに反発し合っているからである。」
この場合、熱素を引きつける力が物質によって異なるので、吸収される熱量は物質によって異なる。つまり、比熱が異なるというわけである。潜熱とは、物質粒子と化学的に結びついて、物質の新しい状態を作り出す熱素のことである。そして水とは氷に熱素が結びついたものにすぎず、蒸気とは水がより多くの熱素と結びついた場合である。熱素には重さがないという原理は、熱素説の反対者が、もし熱素がほんとうに存在するなら、物体は冷たいときより熱いときのほうが重くなるのではないか、と指摘したことで加えられた。実際、重さを比べてみても差はなかったからである。
これに対して、ランフォードは正確な一連の実験で、液体の重さは熱を奪おうが加えようが変化しないことを示しました。たとえば、水が液体から固体ヘ、あるいはその逆に固体から液体へ変化しても、その際、重さには少しの変化もないことを測定しました。ランフォードの関心は、熱が重さにどう影響するかにありましたが、実際の業績は、「摩擦を生ずるような運動こそ、熱の源である」と確信したことであった。 ランフォードはまず、真鍮製の大砲に穴をあける際、多量の熱が発生することに気がつきました。熱素論者ならば、熱素が物質からしぼり出されるので熱が発生すると言うでしょう。物質とはこの場合、ドリルで削られている真鍮のことである。そこで彼は、仮に熱素説が正しいとすれば、削ったくずの中に含まれる熱素のほうが、同量の真鍮塊の中にある熱素より少ないということになるはずだ、と主張しました。真鍮が削りくずになるとき、非常に多量の熱が放出されたからである。 "しかし、そのような変化は起きなかった"とランフォードは語った。砲身の内部をひと山の削りくずに変えていく過程では、比熱は少しも減らなかったのである。"熱い削りくずを入れた水と、同じ熱さの真鍮のかたまりを入れた同量の水は、どう見ても同じ熱さになった"と彼は指摘している。
"熱とは何だろうか"と自分の実験に関する論文の中で、ランフォードは問いかけている。"火のような流動体といったものが存在するだろうか。いわゆる熱素の性質をもつようなものが、いったい存在するだろうか。"それに対する彼の答えは否定的だった。彼は箱に水を満たして砲身の先に取りつけ、刃のあまり鋭くない鋼鉄のドリルを砲身の中に突っ込んでみた。大砲がドリルの作用でゆっくりと回転するにつれて真鍮の砲身が摩擦で熱くなり、まわりの水を暖めるという仕掛けである。2時間半もその作業を続けると、水は沸騰しました。彼は"火もないのに"水が沸騰するのを見て、見物人がいかに驚いたかを後に書き残しています。 それでは彼自身は、どのように考えていたのでしょうか。熱は無限に発生してくるように思われた。"だとすれば、熱が物質であるというのはおかしい。砲身旋削の実験では、熱が発生したり伝わったりした。何かが発生したり伝わったりしたわけだが、それはその何かを「運動」と考える以外に、説明できないだろう。"つまりランフォードは、「運動こそ熱の源だ」と結論づけたのである(熱運動論)。 ランフォードの行なった"砲身をくり抜く実験観察"は、ハンフリー・デービーによっても確かめられた。デービーはロンドン王立科学研究所の化学の講師として、非常な名声を博した人である。彼は2つの金属を真空中で擦りあわせ、発生した熱で「ろう」を融かしました。また冬の寒い日に、2つの氷を擦り合わせて氷を融かす実験を行ない、「運動から生じた熱が氷を融かした」と説明しました。「氷を使って摩擦熱を発生させたことは、熱が運動であり熱素ではない」と証明したことになるわけです。