しかし、その後しばらく研究は進まず、ドイツのJ・ロベルト・マイヤーとイギリスのジェームズ・プレスコット・ジュールによって、再び熱の研究が始められたのは約50年後のことである。現代における熱の概念は、この2人の科学者によってほぼ完成されました。またエネルギー保存則という現代科学の大原則も、彼らの天才的な思索から生まれたと言えます。それまでのエネルギー保存という考え方は、運動する物体の間で、ただ力学的にエネルギーが移り変わるという意味にすぎませんでした。 それでは、この二人の科学者が辿ったエネルギー保存則発見への道筋を、私たちも一緒に歩いてみましょう。
さてマイヤーは、ダーウィンと同じく南洋でその最初のひらめきを得ました。ピーグル号の航海の数年後、彼は印度航路をオランダ船の船医としてジャワに向かっていました。彼は船員の放血手術において,船が熱帯に入ってから放血される静脈血が著しく赤味を増してきたのに気がつきました。この事実はラヴォアジェの理論によれば,熱帯では体温を一定に保つため体内に発生すべき熱は少なくてすむ。それ故、それだけ静脈血には酸素が多く残ることになる。したがって静脈血は、赤味が増して見えるというふうに説明できる。 この説明が正当か否かは別としてマイヤーはこれで停まらず,さらに考察を進める.人間は体温を一定に保ちつつ静止していることもできれば仕事をすることもできる。 しかし仕事をするためにはそれだけ余計に栄養をとらねばならないことは誰でも経験で知っている。またもしそうでなければ無から仕事が創られることになり,人間を中心とする永久機関が成立することになるだろう。ところで同じ栄養が静止のときは熱のみを,また働いているときは熱と仕事を与えうるということは,熱と仕事の同質性を意味するのではないか。すなわち人間のなす仕事は、静止のとき体熱として現われているものの変形であると考えればすべてが明瞭になるではないか。 生体のエネルギー代謝の研究は、エネルギー保存則に導く一つの事例である。それは生体という開いた複雑な系と外界との間のエネルギー交換に制約されている。マイヤーは,空気中からとった酸素による栄養物質の燃焼すなわち呼吸が,生物の体熱と同時にその活動の源泉であるという基礎的考え方の上に立って考察を進めたのである。さらに"自然界のエネルギーは一定だ"という途方もないことを予感したのである。1842年に発表した『無生物界の力について』という論文の中で、"力(実はエネルギー)は一度存在すれば、消滅することはあり得ない。ただその形を変えるだけである"と主張している。当時はエネルギーのことも、ひろく力と言っていました。 彼は科学教育も受けなかったし、実験をする機会もなかった。しかし膨張する空気の温度を一定に保つには、どれほどの熱がいるかという実験資料を入手し、それを用いて、どのくらいの力学的仕事がどのくらいの熱量に相当するかを見事に算出しました。また一方でジュールは、慎重な科学的研究によって集めた資料に基づいて、熱の力学的理論やエネルギー保存の法則を発展させました。そしてマイヤーもジュールも、「熱は力学的仕事に変換できるし、その逆も行なえる」と断言しました。「自然の中には、いついかなる場合にあっても、変換はできても破壊されはしないある本質が存在する」と2人はそれぞれ独自の立場から主張したのである。そして、自然の本質は熱と力学的な仕事によって代表されるという立場から、マイヤーもジュールも熱の仕事当量(どれほどの仕事量がどれほどの熱を生み出すか)を、正確に計算したのである。 |
ジュールは実験第一主義でした。たとえば、電気による加熱(ジュール熱)、力学的な撹拌、気体の圧縮などといういろいろな方法を使って、電気エネルギーや力学的エネルギーを熱に変えてみました。そのひとつとして、羽根車が断熱された容器内の水をかきまわす装置があります。羽根車を回す方法には、大時計の重りのように、ゆっくり下がる重りを使った。こうすれば、羽根車を回すのに使われる位置エネルギーが計算できます。この装置を使って、ジュールは一定量の水の温度を一定の温度だけ上げるのに、何ポンドの重りが何フィートだけ落下しなくてはならないかを計算して、熱の仕事量を求めようとしました。そして30年以上もやり直したあげく、遂に1ポンド(453.6グラム)の水の温度を華氏1度(摂氏0.56度)だけ上げるのに必要な仕事量は772フィート・ポンド(1036ジュール)という答えを得ました。この数値は今日知られる778フィート・ボンド(1054ジュール)という値に驚くほど近いものでした。 |
アメリカやイギリスでは、一般に熱の本性を発見したのは、ジュールの功績ということになっていますが、ヨーロッパではマイヤーの功績になっています。しかし後にイギリスの王立科学研究所の所長になったジョン・チンダルは、2人の仕事をまったく公平に比べ、次のように語っている。「マイヤーには実験設備がなかった。彼は深く考えめぐらすことだけをたよりに、当時存在していたいろいろな物理学上の資料の中からひとつの答えを引き出し、その答えに基づいて熱の仕事当量を計算した。一方、ジュールは実験設備の中に埋まっていた。実験の積み重ねによって、彼は熱の分子運動説が今日認められるようになるための、しっかりした基礎を作った。ジュールは研究時間の大部分を、機械を取り扱うことに費やしました。マイヤーはそれには煩わされず、理論を最も深く用いることに専心したのである。立場をとりかえても、ジュールとマイヤーはともに同じ成果に達したことだろう。」
仕事を熱に変える方法が多種多様なことは、ずっと昔からわかっていました。寒い冬に両手を擦り合わせると暖かくなる。また、棒切れを擦って火を起こすこともできる。2400年前のプラトンでさえ"熱と火は別のものを作り出し、それを維持していくが、それ自体は衝突と摩擦から生まれる"と語っています。 そして結局、ジュールが、ランフォードやデービーが築いた基礎の上にたって、マイヤーの推論を実証しました。さらに、熱と仕事は同等であるという理論を完成したのも、ほかならぬジュールである。彼は氷点下の場所で氷をとかしたデービーの実験を引き合いに出して、これこそ熱素説に対する決定的な反証であると力説しました。それは、熱がまわりの大気から供給されるという熱素論者の口を封じたばかりでなく、熱は物質ではないという学説の支えともなったのです。
19世紀後半までには、「熱はある特別な物質や流動体ではなく、運動のエネルギーそのものである。それはさまざまな方法で発生するが、究極的には物質を構成している微粒子が運動する結果現われてくる」という理論が確立されていました。そして一度熱が運動の一形態であり、したがってエネルギーの一形態であるとわかると、一定の仕事はいつも同量の熱を発生することも明らかになりました。仕事と熱が等しいということは"熱力学の第1法則"に含まれています。これは、私たちが宇宙を統一的に考える方向へと歩み出す際、重要な意味を持つものだったのである。